島原移住者紹介「なして島原へ?」:奈良県出身のジオの伝道師 森本拓さん

長崎県・島原市へ移り住んできた人物を紹介するシリーズ

「なして島原へ」

なぜ島原へ移住したのか、今どんなことをされているのかゆる〜く話をうかがいます。

▼協力隊Instagramでも連載してます~

奈良県出身のジオの伝道師・森本拓さん

今回は奈良県出身の「モーリー」こと、森本拓(もりもとたく)さん。島原半島ジオパーク協議会事務局(がまだすドーム内)に勤務されている、「ジオ」の伝道師です!

モーリー on the 一枚岩 ~「焼山」にて~

出身:奈良県
前職場:東京都
年齢:30歳(1992年生まれ)
現職:島原半島ジオパーク協議会事務局 専門員

※ジオパーク(Geopark)・・・地球や大地を意味するGeoと公園を意味するParkを組み合わせてできた造語。島原半島全域が「ユネスコ世界ジオパーク」に認定されています。▶島原半島ジオパークについて詳しくはこちら:https://www.unzen-geopark.jp/

Instagramでもジオについて情報発信中!

あれよあれよと島原移住!

森本さんが島原市へ移住したのは2018年4月。東京の建設コンサルタント会社に技術職として勤務し、ハザードマップの作成に尽力されましたが、業務過多の毎日で精神をすり減らすことも多く転職を決意。

そんな中、たまたま見つけたのが「島原半島ジオパーク協議会専門員」の求人情報でした。

森本さんが勤める「島原半島ジオパーク協議会事務局(がまだすドーム内)」
国内外のジオパークの情報を発信するジオの拠点施設
モーリー

長崎には修学旅行で来たことがあるだけで(笑)そのときは異国情緒があるな~という印象でした。

採用面接はがまだすドーム内で受けたんですが、その面接当日に口頭で採用通知をいただきました。びっくりしたのは当時の事務局のまるでマグマのようにアツい移住サポート。面接日に賃貸物件の見学まで連れて行って下さって……。

今考えると怒涛の展開でした。

人との出会いにも恵まれ、採用通知を受けて2週間後には島原に引っ越してきました。

その後、めでたく島原で結婚!お子さんも生まれ、今春から島原暮らし6年目に突入されています!

「ジオジオ」した仕事

ジオパーク協議会での森本さんの仕事内容はズバリ、『ジオパーク視点からの島原半島の魅力発信』。とくに小中学生を対象とした火山と人との共生をテーマとするジオパーク学習に深く携わっています。

湊町「蛭子神社」からみた島原の町並み
眉山・街・九十九島が並び、まさに「火山と人との共生」が一目でわかる風景

島原半島各地には地域住民すら気づいていない隠れた魅力がたくさんあるそう。森本さんはそういった魅力を掘り起こし、地域に合わせたオリジナルのジオ学習をプランニングしています。

モーリー

参加した子供たちからダイレクトに感想が返ってくるのでやりがいを感じますね。

ジオパークの魅力は、人間が圧倒的に及ばない自然の迫力を感じることができることだと思っています。そこには脅威だけではなく恩恵があるんです。

島原市のシンボルでもある「眉山」はそのひとつの例です。江戸時代に起きた大崩壊では多くの命を奪った一方、それがきっかけで水が湧き出たり豊かな漁場を作り出しました。まさに島原半島ユネスコ世界ジオパークがテーマとする「火山と人との共生」です。

そういったジオの魅力を自分の仕事を通じて伝えていければいいな、と。

▶Youtubeでも島原半島ジオパークを発信!

島原半島ジオパークを深掘ろう(前編)

島原半島ジオパークを深掘ろう(後編)

これぞ島原⁉「よかよか」の文化

そんな森本さんが語る島原暮らしの特徴……それは、良いも悪いもよかよかの文化。
※よか=「いいよ、大丈夫」

「よかよ、よかよか。」

これ、確かに島原でよく聞く言葉かも(笑)

おおらかな島原人だからこそ、日常会話で「よかよか」がよく使われるのかもしれません。

モーリー

島原半島は『ここだけで生活が完結できる場所』です。湧水・食べ物・温泉など、生活するのに必要なものは一通りそろいます。そういった暮らしへの安心感が、島原の人のおおらかな性格をつくっているのかもしれないですね。

地域住民の気質により、移住生活への安心感があったそうです。

「よか島原半島ジオライフ」を満喫中!

まったく知り合いがいない島原の地へ移住した森本さん。大きな生活環境の変化こそあれ、今ではすっかり島原人となっています。

ジオの伝道師としての活躍にも要注目です!

▼モーリーのマニアックすぎたジオガイド

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